Celebrating Two Contemporary Geniuses : Jakuchu and Buson |
生誕三百年 |
伊藤若冲 & 与謝蕪村 |
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。 |
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生誕三百年 同い年の天才絵師 |
正徳6年(1716)は 伊藤若冲と与謝蕪村 が誕生し、 江戸時代の画壇にとって、ひとつの画期となりました。 |
「展示構成」 |
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「展示構成」 |
第2章 出発と修行の時代 |
第4章 新たな挑戦 |
第6章 隣り合う若冲と蕪村――交差する交友関係 |
『伊藤若冲と与謝蕪村』―近い住まいと異なる天才 辻惟雄(MIHO MUSEUM館長) |
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…若冲と蕪村の名は、ともに同時代に刊行された、地方から京に遊学する人達のガイドブックであった人名録 『平安人物志』 の 「畫家」 の項に載っている。 『平安人物志』 の人名配列から若冲と蕪村の二人が、当時(1768年、53歳〜1782年、67歳)、応挙、大雅に続く京の有名画人であったことが推察できるのである。 また、『平安人物志』 に掲載された蕪村の居所は、若冲の住まいから歩いて10分足らずの近くにあったことは間違いない。 二人はお互いにその存在と活躍ぶりを熟知していただろう。 それでいながら、二人の間には不思議と交際の記録がない。…風景、人物、花鳥、俳画、いずれの分野にも長けた蕪村の多才ぶりにくらべ、若冲のレパートリーはもっぱら花鳥に絞られており、人物、風景は稀である。…享保16年(1731)長崎に来日した沈南蘋は、花鳥画を得意とした職業画家で、彼に学んだ日本人画家が南蘋流を江戸や京に伝え、… 蕪村も南蘋風をニューモードとして取り入れており…若冲の花鳥画は、沈南蘋だけでなく、同じ時期に長崎にもたらされた花鳥画の新画風 「長崎流」 に加え、…当時京都の寺院に伝わっていた元・明の花鳥画・草虫画の模写からえるところが大きかった。…今回の展示は、画家若冲と画家蕪村との顔合わせという観点に絞ったため 「文人の人」 蕪村を、以前の展示のように示すわけにはいかなかった。 そのかわり、新出・末紹介の優品珍品のかなりをお見せする。… |
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伊藤若冲(1716-1800) 関連年表から抜粋 |
与謝蕪村(1716-1783) 関連年表から抜粋 |
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1716( 1歳) 京都の青物問屋 「桝 屋」 の長男として生まれる。 |
1716( 1歳) 摂津国毛馬村(現・大阪市都島区)で生まれる。 |
お問合せTel:03-3479-8600 |
参考資料:NEWS RELEASE No.sma0008、「若冲と蕪村」図録、他 |
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